こんにちは、精神科医しょうです。
毎週金曜恒例の精神科医しょうの日常3選の日がやってきました!
これは私の完全プライベートな話であり、有益・無益に関わらず1週間にあったことをシェアしているものです。
そのため、私の日常に興味が一切ない人はこのまま読み進めずに削除をお勧めします。
では早速ですが、本編をどうぞ。
ドクターコトー診療所
2022年に映画化されていたのを知らずに過ごしていました。テレビドラマシリーズの時は大好きで毎話楽しみに見ていました。年月が経ち、映画化されたことすら知らず、Netflix上でたまたま目にすることがなかったら見ることもなかったかもしれません。以下ネタバレも入ってくるので、これから見る人は全て飛ばしてください。
今回の映画の感想…志木那島の美しさは変わらなくて本当に良かった。ドラマシリーズの時から15年以上経っているにも関わらず美しい自然は残っていました。
肝心の映画の中身は正直に言ってしまうと・・・酷かった…。とにかく情報を詰め込みまくって次から次へと事件が起きるんですが、現実離れしていて共感があまりできない。知らない人に対して簡単に説明すると、離島(恐らく沖縄の離島の設定)に本島から赴任してきたドクターコトーという医師が島の人達と繰り広げる物語。
今回の映画で色々ツッコミどころはあるのですが、島に大きな嵐が来て災害にあい診療所まで沢山の患者さんが運び込まれてくるシーンがラストにあります。台風などに慣れているはずの島の人々がなぜここまで同時に運び込まれてくるのか、コトー先生は白血病になっていてフラフラしながら診療にあたります。
状況を理解しているはずの軽傷であろう島民が、「まだ私の番は来ないのですか!」と自己中心的な発言をし、心臓が止まった方を心臓マッサージした後に、倒れたコトー先生を皆が傍観して眺めている。
脇では絶望した若い医者が泣き崩れている、カオスでした、あのシーン。
そして、復活したコトー先生は、なぜか心臓が悪い患者さんの緊急手術を始めると言い出します。さっきまで気を失っていた人間が、心臓の外科手術を人工心肺も使わずに心臓が動いたまま、手術すると言い出すんです。狂気の沙汰としか思えません。手術中にまた意識失ったらどうしようかと思いました。そして麻酔科医は当然いないので、いるのは元市役所の職員。
その間にもコトー先生の奥さんが切迫早産で倒れて、今にも生まれそうな状況。
流石にメチャクチャですが、さすがのコトー先生、手術も無事に終え、子供も無事に生まれ、島民の全ての命を救いました。最後の最後のシーンで白血病も治った?亡くなった?不明ですが、めでたしめでたし風な乱暴な終わり方。
途中で本島から来た若い医者が島の過疎医療の問題点について、悪者になりながらも至極真っ当な指摘をしますが、その問題提起は一切触れられずに映画は終了しました。情報入れ込みすぎると全てを回収して終了することなど不可能になるようです。
すみません、とても好きな作品だっただけに、否定ばかりの文章になってしまいました。まだまだ書きたいことはあるのですが、さらに否定的な文章になってしまいそうなので、この辺にしておこうと思います。
善意への無意識な依存
すみません否定にならないように、ドクターコトーの話で印象的だったシーンについてもう少し言わせてください。若い医者は、コトー先生が白血病で倒れた時に、10年以上も島のために昼夜問わず島民のために尽くして、変わりの医者を用意することを怠り、コトー先生に皆が知らず知らずの間に甘えていたというニュアンスの事を言い放ちます。
これって島の人も悪意があってそうしているわけではなく、コトー先生の強すぎる自己犠牲や共感性の高さや本当からある種切り離された離島の状況なども組み合わさって起こっていることだと思います。
これって一般社会でもよく起きうることで、会社でも責任感が強く仕事ができる一部の人間に、「あの人ならやってくれる」という暗黙の期待が根底にあり、その期待された人間の自己犠牲によって成り立っていることって非常に多いように感じます。
その周囲の暗黙の期待を無視できるような共感性を捨てることができる人間は、その場からさっと逃げますし、そもそもそういう役割を演じません。必ず優しくて共感性が豊かて責任感が強い人間がそのような役割を演じることになります。もちろんこの役割は本人がやりたいのであればやればいいのです。
しかし、無理してやる必要もないし絶対にやらなくてはいけないわけではないですし、そのような暗黙の期待などというのは本来は無視しても良いものなのです。とても冷たい意見に思えるかもしれませんが、これを読んでいる人はコトー先生のように周囲の暗黙の期待を背負い続けて体調を壊してほしくないと思っています。
共感性が強すぎる方は共感性を時には捨てるのも大切なのではないでしょうか。精神科医である私が言うのもおかしな話ですが、自分を守ためにはある種のサイコパス性を意識的にコントロールする必要性があるのかもしれません。
極端な話、周りからどう思われようとしったこっちゃないと自分を守る行動を取るのです。周りを幸せにできるのは、自分自身の健康があるという大前提を忘れてはいけないのです。自分の不幸や不健康のもとに周りを幸せにするという考え自体は否定しませんが、その状況や仕組み自体がそもそもおかしいのです。
あまりこのような尖った意見は言わないようにしていますが、今回の映画をみて正直に思ったことを書いてしまいました。私の意見が正しいとも思っていませんし、批判も含めてぜひあなたの意見も教えてくださいね。
観葉植物を買いに行った!
先週の日曜日に、電車で1時間かけて観葉植物を買いに行きました。自宅であった観葉植物をどうやら水のあげすぎで枯らしてしまったのです。
私のミスで枯らしてしまい申し訳ないことをしましたが、植物を育て方について意識するきっかけになりました。植物を枯らしてしまう原因の大半が水のあげすぎで根腐りしてしまうからのようです。
週に1回くらいのペースで上げていたんですけど、一回の量もまちまちで多かった時があったのだと思われます。
今回は小さなガジュマルと、大きなパキラを購入しました。大切に育ててあげたいと思います。今回は水のあげすぎを防ぐために、水あげチェッカーなる水をあげるタイミングがわかる土に刺しておくデバイスも購入しました。
このメルマガを送る日に到着していると思うので、その報告をまたさせて頂きますね。
いろんな観葉植物を見たのですが、植物に囲まれた時間を過ごしたせいか、とても気持ちの良い休日になった気がします。
自宅に緑を増やすことで、自宅でもリラックス効果を得られると良いななんて期待しています。