こんにちは、精神科医しょうです。
本日は毎週金曜日にメルマガにてお伝えしている、精神科医しょうの日常3選の日です。
日常の些細なできことからの気づきをお伝えしていきます。
では早速ですが、本編をどうぞ!
祖母の言葉
私の祖母は97歳。物忘れはありますが年齢相応で、認知症でもありません。
実家の近くで一人暮らししていたのですが、転んで骨折することが増えたため施設で暮らしていました。しかし、年末に施設内で転んでしまい、骨盤と左肩を骨折し救急車で運ばれそのまま入院、手術となったんです。
年末年始に会えていなかったので、今週に病院にお見舞いに行ってきました。
まだまだ痛みが強いらしく、ベッドでほぼ寝たきりだそうですが、面会の時は車椅子に座って、ホールで話すことはできました。
入院当初は、「せん妄」といって、時間や場所などがわからなくなり錯乱してしまう状態になり、母によく電話してきていたそうです。その電話の内容もさらわれたとか、妄想の内容が多く母もそれを聞いて疲弊していました。
入院・骨折の手術から数日が経ったためか、せん妄は良くなってきており普通に会話はできたので少し安心しました。
しかし、痛みは強いし動けないしベッドに拘束されるし、もう死んでしまいたいなんて言うんですね。
その言葉に対し私は返す言葉もありません。
高齢になり体の不自由が効かなくなり、良くなるかどうかもわからない状況でそう思ってしまうのは、ある意味では理解できることでもあると思いませんか?
生きることは苦しいことです。それは死ぬまで続くわけですね。
生きることは苦しみ
私の上司に仏教を信仰する方がいて、時々その方から話を聞きます。
仏教の考え方では、生きることは苦しみの連続だそうです。
死して悟りを得ると初めて、その苦行から逃れることができるそうです。
しかし、悟りを得て涅槃に至れないと、輪廻転生して次も生物となり苦しい生涯を続けるという考え方だそうです。
涅槃に至るために仏教徒は、坐禅を組んだり瞑想したりするそうです。
涅槃に至るまで、生きて輪廻転生して、どこかで悟りを得られるまで苦しみは続く。
生きる限りは苦しみは続くわけです。
祖母の話を聞いて、この仏教の考え方をふと思い出しました。
我々は皆苦しみの中を暮らしているのですね。
仏教の考え方では人生とは苦行なんです。
私個人としては人生は苦行ばかりではなく、楽しいこと喜ばしいことも入り混じっていると思います。
確かにつらいシンドイことのほうが多いかもしれませんが、その分嬉しいこと楽しいことがあればその喜びを噛み締めることができます。
人生は苦行かもしれない苦行のほうが多いけれど、苦行ばかりではないと言うのが私の考えですね。
様々な考え方があります、仏教以外の考え方も知りたいと思った出来事でした。
暑すぎるサウナ
先日、久しぶりのソロサウナに行ってきました。
ここのところのサウナブームで、あちこちにサウナが乱立していますね。
サウナが乱立してくると、各社差別化するためにより尖っていく傾向にあります。
サウナでいう尖っていくというのは、いろんな方向性があるのですが、本格派サウナー向けの尖り方もあるんです。例えば、サウナでは会話禁止、水風呂前は必ず掛け湯をする、複数人での来店禁止など厳しいルールを課すという尖り方もあります。
私が今週行ってきたサウナは、厳し目なルールとサウナの暑さと水風呂の冷たさを極めた上級サウナー向けの店でした。
厳しいルールとサウナ、水風呂、整い部屋のクオリティのおかげで抜群に整うことができました。
しかし、あまりにサウナ室が暑すぎて、足の裏を軽く火傷してしまいました笑
サウナ室にテレビがおいてあって、最近火傷する人がいるので、サンダル使って良いですよと放送していたんですね。「サウナで火傷する人なんているのかよ」と思っていたのですが、案の定してしまったみたい。
軽く火傷してしまったとはいえ、サウナでスッキリした後は気分も体も気持ちの良いものです。
ここのところ、モヤモヤ、イライラすることもあったので、行けてよかった。
もしサウナに行ったことがないという人で、何か新しい趣味が欲しいという方はぜひ行ってほしいと思います。
私のブログのテーマは、「他人軸でなく自分軸で気楽に生きる」です。
あなたはこんな悩みをお持ちではありませんか?
- 「他人の顔色ばかりみてクタクタ」
- 「自分の意思で生きられない」
- 「いつも後悔ばかりでグルグル一人反省会」
そんなあなたはこちらの記事を読んでみてくださいね。
あなたが「自分軸で気楽に生きられるようになる」ことを願っています♪